私の専門とする領域は、「倫理学の基礎づけ」と「応用倫理学」です。
1.「倫理学の基礎づけ」について。
私は倫理学の基礎は、私たちが日常的に行なっている事を離れてはありえないと考えています。なぜならば、古くからある、あるいは新しく生じつつある倫理や道徳の規範や原理は、たしかに私たちの日常的な行為・行動を規制しますが、これら行為や行動によって何らかの仕方で支持されて初めて、規範とか原理であることができるからです。
そのようなわけで、道徳や倫理における規範や原理・原則を、それ自体で自明で普遍的であるとみなすのではなく、歴史の中で生きる私たちの日々の実践の中においてそれらが果たしている役割に注目すべきだと思います。 以上のことから、倫理が具体的な形をとって現われる場面を考察することは、倫理学の研究にとっても重要であると私は思います。つまり、「応用倫理学 Applied Ethics」は、普遍的で自明と思われている倫理原則や規範のたんなる応用の場ではなく、そうした規範や原則が吟味され試され、また、新しい規範が見つけだされる現場であるといえます。
2.「応用倫理学」について。
上に述べたことから、「応用倫理学」とは、すでにある倫理学のたんなる応用ではないと言うことができます。応用倫理学における考察によって、新しい倫理学の原理 が見出されることもあります。 応用倫理学は広い範囲にわたっていますが、私はその中でも特に、生命倫理学(Bioethics)と環境倫理学(Environmental Ethics)に関心を持っています。 生命倫理学では、脳死と臓器移植、安楽死あるいは尊厳死、遺伝子治療やクローン人間、中絶、代理母といったことがらを、「患者の権利」「人間の尊厳」「生命の質」「功利の原理」「自己決定の原理」「パターナリズム」「ケア」等の概念について考えています。 環境倫理学は、環境汚染、資源やエネルギーの枯渇、地球温暖化、自然保護、絶滅危惧種の保存、人口問題、動物や自然物の権利、といった問題を、現在の諸価値や歴史の向かう方向、そして人間の本性や技術、人工物のありかた等についての考察を通して捉え直していきます。 私は、普通よく言われているようにこれらふたつの倫理学を対立したものと捉えるのではなく、相互に関係し両立しうるものと考えています。 特に、ヒト胚や実験動物、将来世代にかかわる問題は、生命倫理と環境倫理が重複する領域でもあり、両者の統合が求められます。私はその統合を「ケア」概念を中心にして構想しています。 これは「ケア」を従来のようにたんに人と人の間の関係としてとらえるのではなく、ヒト胚や胎児へのケア、動植物や自然へのケア、また死者や神へのケアも可能だと考える立場でもあります。
3.倫理学の新しい方法
上で述べたような考えが正しいとすれば、価値観や生活一般にかんする人々の意識とそれらをとりまく状況を把握することが倫理学において重要になってきます。私は、アンケートやインタビューによる意識や実態の調査がそのために役立つと考えています。ただし、この種の調査は未だ倫理学において用いられてこなかったため、倫理学の方法論として確立するにはかなりの努力が必要になってきます。このような考え方は、J.ロールズの命名による、いわゆる「反省的均衡 (reflective equilibrium )」という方法の具体化といえるものです。 ただし、調査にもとづく倫理学といっても、単に多数決原理を倫理学に持ち込むわけではありません。多数が正しいと思っていても正しいとは限りませんし、少数の人の意見の方が正しい場合もあります。人々の倫理的判断から何が正しいかを知るには、「正しい」とか「正しくない」と思っている理由や立場の把握を必要とします。ところが、人々は(私のそうですが)しばしば矛盾した判断をしますし、時代の大勢に乗っているだけの場合もあります。意見を変えることもしばしばです。このようなことから、人々の判断にもとづく倫理学は敬遠されがちですが、私は、欠陥はあるものの、それが見込みある企てだと考えています。 私はこの種の研究をまず文部省の科学研究費補助金を受けて3年間行いました。実際の調査は中学生や高校生にアンケート調査をしたため、現在の教育問題にも深くかかわる研究となりました。その研究の題目は『アンケート調査に基づく道徳意識の諸相に関する研究』です。この方法は、教育の分野だけでなく、例えば生命倫理や環境倫理といった他の諸領域にも適用できるものです。 平成15年度からは、3年間かけて、生命倫理・環境倫理・情報倫理の統合をめざす研究(「理論的・実証的探究に基づく応用倫理諸部門の統合可能性の研究」)を、科学研究費補助金を受けて行 いました。ここでも、理論的考察とともに意識調査が研究の両輪となっています。 応用倫理の統合についていえば、たとえば、工学倫理はビジネス倫理を基礎にして、生命、環境、情報の応用倫理の問題と深くかかわりをもっています。2007年に理工図書から刊行したテキスト『工学倫理』のサブタイトルは、「応用倫理学の接点」でした。
熊本大学大学院社会文化科学研究科
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